筆山会新年会                                         37回生 幸徳 正夫

平成24年の筆山会の新年会が「湧くからに流るるからに春の水」(漱石)の一句が浮かぶ穏やかな新春1月7日、明治神宮をまじかにひかえる代々木倶楽部において定刻正午より開かれました。数ある同窓会の中でも筆山会は、比較的卒業年の若い回数(ものも書きようで丸くなり)であり、夕刻ではなく正午の新年会となりました。西内幹事(30回)の司会で、冒頭、森筆山会会長(23回)の挨拶で始まった。会長は、新年早々の集まりにも拘わらず多数の参加を頂いたことに謝意を述べ、この筆山会が土佐中、高等学校をサポートする集いの場となると良いと思う。そして何事にも自分をもって、自分を高め日本をも高めていく元年としたいと、昨年の東日本大震災からの我が国の復興を念頭に置かれた格調高いご挨拶があり、最後に、今年は明るく乗り切りましょうと締めくくられました。続いて、一番若い21回生の宮地顧問が若々しい声で、益々お元気で我が土佐高と我が日本のために乾杯!のご発声のもと杯を捧げました。

会場は広からず狭からずゆったりしたいい雰囲気の会場であり、料理も新春にふさわしく彩りよし盛り付けよし味よしで、勢い昼とは言えどもついつい酒量が増えたのは土佐人の血が騒いだのでしょうか。会場には‘85年土佐高同窓会関東支部第1回総会と’91年第6回総会の模様が流れていた。これは浅井さん(30回)が保存されていたビデオを山中さん(24回)がダイジェスト版に編集されたものでした。また、向陽新聞のスライドも岡林さん(40回)により映し出されて「向陽新聞バックナンバーCD」頒布の紹介があり、編集委員の森田さん(37回)から欠落号数について知っている方は是非ともご協力を、とのお願いがありました。土佐中、高等学校の歴史を時系列的に編集しょうとされる編集委員長の中城さん(30回)たち編集委員の皆さんのご苦労に敬服するばかりでした。

関東支部事務局長の二宮さん(49回)からは天下の青森山田とのサッカーの試合の応援のお礼と2月18日の幹事会の連絡等がありました。サッカーの応援については公務多忙な中谷さん(51回)も恒例の正月の帰省を取り止めて、ご家族で熱烈応援であったとは会場の声でした。同窓会関東支部長の泉谷さん(29回)が体調が今一つ万全でない中を出席され多くの同窓生からご挨拶を受けられていた光景が瞼に焼き付きました。このほか、ハチキン会については佐々木さん(33回)が、ハイクの会については中島さん(38回)から案内があり、中村さん(37回)も昨年も訪れたガ―ナよさこいについて報告された。

席上、私が一番印象深く残った言葉は「とうとう僕が名簿の一番上になったよ」と闊達な笑顔で話しながら会場に見えた宮地先輩の一言でした。出席者全員がその言葉をいつの年にか我が口から発したいと思ったのではないでしょうか。私は宮地さんの一言に「6070は鼻たれ小僧。男盛りは100から100から」の平櫛田中さん(文化勲章受章・107歳没)の言葉が浮かびました。尽きぬ話も会場の時間制限には勝てず、宴たけなわのうちに校歌大合唱のうちお開きとなりました。しかし、なんと、西内幹事は会場をセットしてくれた浜田さん(37回)とともに来年の新年会の会場予約をして帰られたとのこと。土佐中高等学校、筆山会は揺ぎなしを確信しました。出席者各位はお互いに来年の再会を約しながら、暮れなずむ街の中に溶け込んでいきました。