Celica Day Special Talk
at MEGA WEB History Garage, September 9, 2006






会場になったHistory GarageはMEGA WEBの展示場からは離れていてわかりにくくやっとたどり着けた.
壁にはF1のシート部分をカットして掛けてあった.


久保地さんは,メインゲストでした.


会場はこんなところです






まずは,女性の司会者が,スペシャルトークの出演者を紹介


久保地さん登場


トークショーの司会者と4人のゲストが揃いました

左から,石川さん,伊賀さん,久保地さん,藤本さん,竹平さん

司会の石川さん
「自動車評論家を始めてインプレッションを担当したのは2代目セリカからですが,
初代のセリカが好きで,初代の中古車を買いました」

司会「さて,久保地さんは,初代セリカの兄弟車のカリーナを担当し,
2代目からセリカを担当され,4代から5代までChief Engineerを務められました.
まずは,足回りについて」

(セリカのWikipediaはここ)


久保地「兄弟車のカリーナはしっかりした足回りで『足のいいやつ』と売り出しました.
セリカは重心が低く乗り心地が違うのでそれにあわせたチューニングをしました」

竹平「セリカはスポーツカーとも違ってスペシャリティーカーですね」
久保地「スペシャリティーカーの最初は,FordのMustangですね.
初代のMustangは,ものすごく沢山売れました.
そのMustangを意識して,カリーナをベースにセリカを作ったのです」

(MustangのWikipediaはこちら)

司会「久保地さんは『武闘派』というか,『クルマは速くなくてはならない』というChief Engineerでしたね」
久保地「普通のエンジンではスペシャリティーカーではないですよ.だから2T-Gを載せたんですよ.
個人的にカローラSRに惚れていたので,カローラのChief Engineerにも2T-Gを進めました.
それで,レビン,トレノが誕生したんです」

2T-Gはエンジンの型番で,DOHC,1600CC.こんなエンジンです

司会「竹平さん,2T-Gエンジンの素性はどうでした」
竹平「耐久性もあって,レース活動も進みました」

司会「さて,2代目,3代目と進み,久保地さんは何を担当されたのですか」
久保地「開発チームのChief Engineerと手下は一心同体で何でもやります.
足回りだけでなく『足回り』と『ボデー』との調整役をやりましたね.
トヨタに入社して最初の8年はカローラのサスペンション,サスペンションチューニングのすべてをやりました」
司会「走り屋のチューニングにするのですか」
久保地「それは違う.仕事を終えて疲れ果てて帰るときには,
走り屋のチューニングでは乗れません.総合的な足回りにするのです」



司会「クルマは作った人の性格が出ます.
最近のChief Engineerは『良い方』とか『頭の良い方』という印象です.
久保地さんは,違った印象でした」
久保地「不真面目ではなかったが,非真面目だったとはおもいます」
司会「最近のChief Engineerについてはどう思われます」
久保地「知りません」(会場はどっと笑った)

司会「ラリーカーのメンテナンス性は考えて作られたのですか」
久保地「FRはおまかせでした.FFターボは違いました.
ターボ車の成立はメチャクチャ苦労しました.
ガンとトルクの出て,トルクが大きすぎるターボは,
コーナを高速で回るにはFFには無理がありました.
(ラリー部隊と)協力してやりました」

司会「FRからFFに換えた理由などを教えて下さい」
久保地「一番大きな理由は,社内のFRの設備が古くなってFRを作れなくなったのです.
2番目の理由は,FFは軽くなりますが,軽いクルマは燃費が良くなるためです.
FRがスポーティーと思われる走りには適しているとFFには抵抗したのですが,
FFでも速く走れるクルマを作れるようになったのでFFにしました」
司会「4代目からFFですね.伊賀さんFRからFFに換わった頃のことをお願いします」
伊賀「FFはアンダーが強く曲がらないので,リヤを滑らすと今度は接地力が少なくなります.
それでバランスを取るのに苦労しました.ブッシュのバネ定数をチューニングしたり,
タイヤなどを選択してしっかり曲がれるように仕上げました」


司会「久保地さんは世界一速いChief Engineerとドイツの雑誌に出ましたよね」
久保地「世界一じゃないよ,日本一だったかも知れないが.
マツダ・ミアータ(ロードスター)のChief Engineerも速かったでしょう.
Porscheなどの設計者はメチャクチャ速いですよ.」

司会「FFから4WDになりましたが」
久保地「ランチャの4WDが出てきたので,4WDを始めましたが,ものすごく苦労しましたよ.
フロア下にはメインタンクがあるのに,元々FFにはない4駆用のプロペラシャフトが通るので,
メインタンクを貫通するし,触媒などをフロア下に入れるのが物理的に苦しい.
オルタネータ専用の送風機も必要でした.それでエアコンの置き場がなくなって,
エアコンなしのクルマを作ろうとしましたが,結局は
『今の時代にエアコンのないクルマおかしい』と反省してエアコンは付けました.
4駆は曲がらないので,曲がるクルマにしょうと苦労しました」


司会「伊賀さん,その頃のお話をお願いします」
伊賀「どうしたら曲がるか苦労しましたね.GT Fourは3周で(タイヤの)ワイヤが出てくるのですよ.
それで200本もタイヤを持ち込んで試験をしました」
久保地「マクドナルド(と編集人には聞こえた)も買っていって」
司会「エッ!何故ですか」
久保地「企業秘密です」(また,どっと笑い)


司会「セリカへの思い入れなどをお願いします」
久保地「カローラのような最大の量産車とは別な思いです.
スペシャリティーカーは何をやっても会社には怒られず,何でもできました.自由に新しい開発ができました.
しかし,3000台しか売れなくなると何もできなくなります.
『あんな大したことないクルマはやめてしまえ』と言われても耐えていたのですが,
そのクルマの歴史の幕を引いたのです.それはプリウスの計画に生まれ変わったと思っています」


(HP編集人:Lexusブランドで若者向けのスポーティーカーを開発すると言われていますが,それが次世代のセリカかも知れません)

トーク会場の外には,歴代のセリカがずらっと並んでいました.