対談メモ

司会・服部さん(49回)
村木さんは,江ノ口小出身で,
ご存じのように10年前は大変でした.
現在は津田塾大学客員教授などをされています.

小串さんは,第四小出身で,
現在は富士ゼロックス総合研究所代表取締役です.

お二人とも母校の理事をなさっています.


今日は4つのテーマを考えています
1.中学・高校時代
2.社会人としての40年
3.令和の時代へのメッセージ
4.セカンドライフ

1.中学・高校時代

村木
「自由な校風」と言われるけど,
「髪を結ばんでええ」(土佐弁で)
当時の公立中学校では「肩に着いたら結ぶ」
「しなきゃならない」というのが嫌い
わけの分からないことを強制されるのが嫌いだった


小串
そう言えば,髪を結んでいる村木さんは見たことなかった
革靴OKも他の学区にはなかった
女子が少ないから水泳が厳しくないと聞いた
わたしは,水恐怖症なので
「土佐に入らなきゃ生きていけない」と思った

村木
靴の色は大きかった
自由だった

小串
チコちゃんに叱られるほど,ボーっと暮らしていた
記憶がないほど

村木
席の隣の男の子に「明日こそおはようと言おう」と決心
それが言えなかった
某整形外科の坊ちゃんです
席替えで「自由に選んで良い,女子同士はだめ」
困っていたら
その時に隣になってくれたのが
学級委員長だった小村校長

服部
静でおとなしい,
真面目な少女だったんですね

小串
真面目だったが,高校の遠足で
桂浜の先の岬の裏側でお弁当を食べたときに...(笑)

村木
遅刻したときに教室に入るのが苦手
5分遅れても,次の授業まで使ってない教室に隠れていた

中2の時に父が失業
土佐をやめるかとも,高校,大学には行けないと思っていた
最小限の授業を受けて,図書室にいた
バイト三昧で,先生にバイトさがしも手伝って貰った

小串
まわりが見守ってくれたんですね

2.社会人40年

小串
40年と言われると愕然とする
スタートが遅く,30代後半がスタートだった
仕事で色々な人に出会い,人を選抜するアセスメントに出会った
人は変わる.無限の可能性があることを知った
こんなに長く仕事をすることは土佐高時代には予想しなかった

村木
やっと地元の大学に入って
「どの仕事,何をやる」はなく,食べてていける,辞めさせられない
公務員を目指し
面接試験で,生まれて初めて新幹線に乗り,生まれて初めて富士山を見た
何も考えていなかった
37年半,間に産休が2回,事件で休職1年3ヶ月
終わってみると満足
人事の人に,「最初は川下り,後半は山登り」と教わった
自分のこと,世の中のことが分かってから山に登る

小串
若い頃は「自分がどのような仕事をしたらよいのか分からない」,自分探ししをしても見つからないもの
目の前の仕事を一生懸命やっていくうちに
自分の強味,弱さが分かってくる
人とのつながりで違う自分を知ること

服部
失敗の体験を


村木
典型的な失敗を紹介します
国会での大臣答弁を清書
経済社会70年計画,7に逆三角▽の「7▽年計画」
今の世の中で70年は長いなと思い,「7ヶ年」と気が付いた
先輩も総動員して修正
へたな大臣だったら,気が付かなくて答弁したかも
気が付いて良かった
「ごめんなさい」を繰り返し,それで人と話せるようになった.

小串
メーカの秘書室にいた頃,
上司と一緒に社長が乗ったエレベータの前で深々と礼をして
扉が閉まったところで二人で万歳と手を上げた
ところがそこで扉が再び開いた
二人して「おつかれさまでした」と言い頭を下げた

海外出張先で,相手に渡すものを私のバックに入れていた
ところが接見の場に私は入れなかった
帰国の飛行機の中でバックの中の物に気が付いた
大した物でなかったようで,上司には「処分しなさい」と言われた

村木
29歳と35歳で子供が生まれた.
赤ん坊を見たこともなかったので「持って帰ってどうしよう」と思ったのが本音
保育ママさんに助けて貰った
その家の末っ子のように面倒を見て貰った
育児のやり方も教わった.
上の子が2歳の時に島根に赴任
ご近所には「あの旦那,奥さんと娘に逃げられた」と言われていた
子連れ赴任で,保育所や
近所のおじいちゃん,おばあちゃんの世話になり
職場の飲み会は子連れOKにして貰い
娘は枝豆やポテトフライを喜んで食べていた
娘からはビヤガーデンを指し,「あれがママの職場」と言われた

夫が長野に単身赴任中のこと
一ヶ月の海外出張に「行くか」と聞かれ「行きます」と答えた
保育ママに預け,娘はそこから保育園に通った
娘には「合宿」と言ったが,娘はその間に成長した
20年後,その時の上司と酒を飲んだ時にその話になった
「『行く』という返事にはびっくりした.村木の仕事だから最初に村木に行くかどうか聞くべきと考えた」
あいつには無理と最初から思わないでくれたことに感謝ですね

小串
私は子供を育てていない
職場では全員産休後復帰している
時間のケアはしているが,仕事の機会はフェアに
まずは,「本人に意思を聞いてみる」ケヤよりフェアであることが大事
無意識のバイアスなしに,一回は声をかけること
今は女性がおっさん化していて背中のチャックを開けるとおっさんが出てくるような時代

服部
印象深い仕事は


村木
ゆっくりしか成長できなかった
係長の時,「今だったら良い係員になれる」
課長の時,「今だったら良い係長になれる」
40代後半,これから下るかと思ったが,
40代の終わりに
「変だ.寝ていないのに眠くない.食べていないのにお腹が減っていない」
少し若い同僚から,「少しだけ引き受けましょうか」と言われ,
彼もいっぱいいっぱいだったので,びっくりしたが,楽になった.
アドレナリンが出過ぎだったのだろう
取り調べの検事に話したら「それは『薬物』と同じ症状」と笑われた
いざとなったらアドレナリンが出る知らない自分がいた
これからも伸びると思えた

小串
大変な時にこそ本当の自分が見える
40歳で今の会社に入った
当時は毎日夜中を過ぎて会社を出ていた
新しいことをギリギリの人数でこなしていたが,成長を実感していた
支援を受ける,手を差し延べてくれる仲間がいること
助けにならなくても見てくれている
助けて貰う力が大事


3.令和の時代へのメッセージ
服部
令和の時代へのメッセージを

村木
変化は早く
新たに勉強しても深いところまでは無理と言うことも多い
自分が強いことは頑張るが,他は人を頼れば良い
つながりが大事

甑(こしき)村は元気で活き活きしている
風土は外から来た「風の人」とその土地の「土の人」が創ると教わり納得する
つながりがしっかりできたらこの国はいける

小串
風と土がつながったら良いですね.
分断と不寛容な時代になっている
変化のスピードが早く,「待つこと」が苦手な時代
AIなどの技術は使う.人間はどういう本質を持っているかを知ることが重要
今週,土佐高の理事会で高知に行ったが,財布をなくした
羽田空港のトイレで落としていた
そのまま返ってきた
日本は民度が高い
いまさら,ジャパン・アズNo.1は古いかも知れないが,幸せになる国No.1だといい

服部
では,最後にセカンドキャリアについてお願いします

4.セカンドライフ

村木
37年半,「官」にいた
霞ヶ関,永田町には近づかない

「学」と「産」がやりたくて,大学で教えたり,企業の仕事をしている
二神枝保先生からこれからのキャリヤは,
探索>トライアル>確立>熟達 の繰り返しと教わった

甑村で,We doを教わった
霞ヶ関,永田町を避けて市民として We doを実践したい

小串
若ければ村木さんの生徒になりたい
官で作った制度を真意を理解した上で
組織に適用していけるような支援,組織開発などをしたい
相手が考えているときに,壁打ちの壁になる.
人は自分の中に解決策を持っていると信じて人と接していきたい


質問は省略